KATARI

「ゼロの未来」
“The Zero Theorem”

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公開当時、ずっと見たくて公開前から待ち遠しく思っていた映画です。
地元の映画館で母と二人で見に行ったのをよく覚えています。「どうだった?」と感想を求めるとSF映画の場合は大抵、「難しくてよく分からんかった」と言われることが多いのですが、この映画の時は「面白かったね!」と楽しそうでした。ジャンルはSF映画ですが、ユーモアやギャグも豊富で映像だけでも十分楽しめる映画だと思います。この作品には謎のキーワードが多く出てきます。ここでは、そのキーワードのいくつかについて、私が考えたことを書いていきます。

あらすじ

近未来のロンドン。プログラマーの主人公コーエンは大企業マンコムで上司に監視されながらアーケードゲーム機のようなボックスで(どう見てもゲームをやっているようにしか見えない)働き、廃墟と化した教会に一人で住んでいる。コーエンは一度だけかかってきた「人生の意味を教えてくれる電話」をずっと待っていて、再びその電話がかかってきたときに取り逃さないように在宅勤務を希望する。しかも主人公は人付き合いが下手なので、在宅勤務したいのもとても分かります。そして、引きこもり中年男のコーエンの家には上司や天才プログラマーやベインズリーというかわいい女の子が次々に現れる。(せっかく引きこもったのに…)

基本情報


THE ZERO THEOREM – Trailer(Sony Pictures at Home UK)

Released in 2014 (UK)
Directed by Terry Gilliam
Produced by Nicolas Chartier, Dean Zanuck
Written by Pat Rushin
Music by George Fenton
Cinematography Nicola Pecorini
Starring Christoph Waltz, Mélanie Thierry, David Thewlis, Lucas Hedges

↓↓↓これより下はネタバレがありますので、ご注意ください!↓↓↓
※「ゼロ未来」および「Ready Player One」のネタバレを含みます。※

安っぽい未来

最初に「ゼロの未来」を見たい!と思ったのは、予告で出てくる色がやたら目に痛い「安っぽい未来的なガジェットや衣装」がいっぱい見られそう、という理由でした。しかもSFだし、テリー・ギリアムだし、見に行かない理由がありません。ブレードランナーのような「カッコいい」というよりは今ではちょっとダサいと感じるような、Back to the Future 2の未来ガジェットに近いセンスです。カラフルなガジェットや衣装に反して、主人公の住む廃墟の教会は暗くて、「古典的」です。ファッションも性格も暗い主人公との対比で回りの人が身に着けているものがカラフルで安っぽく、一見頭悪そうに見えるんです。でも、彼らのほうが主人公と比べるとずっと楽しそうだし、現実に折り合いをつけてなるべく楽しく生きていこうとしている堅実な人々にも見えます。

それから、VRも登場します。2015年公開なので、「VR元年」と言われた2016年より少し前の公開です。「ゼロの未来」に出てくるVRの世界はほぼ「Ready Player One」(2018)と変わらないと思います。しんどい現実から逃げるためにVR空間が存在し、ゴーグルやスーツを来てVRを体感する形です。体感するのは「Ready Player One」のようなゲーム空間というより、ビーチで寝転がってのんびりする、という大人な使い方ですが…でも、VRなのに食べたりする描写もあるんですよね。一体どうなっているのか…その辺はふわっと観るべきかもしれません。

映画の後半はほぼ引きこもり主人公の家で繰り広げられるため、実際にはどのくらいの人がVRを日常的に使っているのかなどの描写はありませんが、街では普通にVR空間の広告が流れているので、特に目新しいものとして扱われている様子はありません。
Ready Player Oneと同じく、VR世界は地獄のような現実世界を忘れるための虚構(小説・漫画・アニメ・ゲーム・風俗など)の新しい形として登場するだけなので、VR自体に深い意味はないと思いますが、映画自体が放つVRに対する考えは「ゼロの未来」と「Ready Player One」では全く違います。(少なくとも私はそう受け取りました。)Ready Player Oneが「VRも素晴らしいけど、現実も素晴らしい場所だ!リアルなのはリアル(現実)だけだから!」という、これだけ聞くと学校の先生のお説教のように聞こえますが、前向きなメッセージで終わっています。なんてったって、主人公は彼女をゲットして終わりますから!

一方、「ゼロの未来」は有名な「Creep」をBGMにVRの中の浜辺で一人たたずむ主人公が夕日(もちろんVRなので偽物の夕日)を眺めながら終わります。主人公にとって現実とのブリッジだったヒロインが去り、「人生の意味を教えてくれる電話」も嘘だったと分かった主人公は自宅に引きこもるだけではなく、VRの中に引きこもって完全に現実から逃げる選択をしたようなエンディングです。文字にすると悲劇のように聞こえますが、「現実で彼女つくれ!」と言われてもそれが簡単に出来ない、という人はたくさんいるはず。「ゼロの未来」のエンディングのほうが逆に救いとなる可能性も大いにあるんじゃないかと思います。それが良いことか悪いことかは置いといて…

「人生の意味を教えてくれる電話」

何かしらの宗教信者のごとく(実際に主人公は廃墟とはいえ教会に住んでいるし)、「人生の意味を教えてくれる電話」が必ず自分の家電にかかってくると信じています。最初は、盲信的に宗教を信じている人のメタファーかと思いましたが、早い段階でどちらかというと自意識の強い現代人にも見えてきます。
主人公のコーエンは、仕事は出来るのに、その自分の仕事が実際にはどう社会に役立っているのかとか、そういう事には興味が無いように見えます。実際に、コーエンの仕事はシューティングゲームかルービックキューブをファミコンでしているようにしか見えないです。未来のプログラマーはゲーマーなのか…
自分の仕事にはそれほど興味が無いのに、「人生の意味を教えてくれる電話」に心を奪われているんです。私には「こんな仕事に意味はないけど、俺の人生には意味があるはず!」という自意識の塊に見えました。思春期の少年少女でなくとも、皆どこか自分は特別であると思って生きている、と私は思っているのでコーエンの言動が少しでも自分と重なった瞬間にぶわっと恥ずかしさを感じる瞬間があると思います。

「ゼロの定理」とは何だったのか

原題の「The Zero Theorem」を聞いたときに、真っ先に思い浮かんだのが、「Theory of Everything」です。何か関係があるのかな、と思って少し調べてみましたが、もちろん「ゼロの定理」という定理はありませんでした。(私が調べた限りでは)そして、なぜ「Theory」じゃなくて、「Theorem」なのかが気になったのでそれぞれの意味を調べてなぜ「Theorem」なのかが腑に落ちました。「理論(Theory)」はある事象を論理的に説明する体系のことを言うのに対して、「定理」はそれ自体が証明される命題のことを指す言葉なんです。理論は説明する手段で、定理は説明・証明される側ということになります。つまり、主人公のコーエンと一緒で、「人生の意味を教えてくれる電話」(公理・定義)がないと証明がされないことになります。
タイトルからここまで考えなくても、映画の中でずっと「人生の意味を教えてくれる電話」の話をしているので、ストーリーが分からなくなることはないと思います。ただ、「ゼロの定理」という言葉だけがあまり説明されずに登場するので、「え?で、ゼロの定理って一体なんだったの?」ってなりました。なりましたが、そんなの関係なく大好きな映画になりました。何度見ても発見があるし、落ち込んでいるときに見ると元気になります。主人公以外のキャラクターも最高です。ぜひ本編を見てみてください。みんないい奴です。笑

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